Column

2019/10/31
椛田ちひろ KABATA chihiro
「綴られた記憶/綴られる記憶」レポート

今回、椛田さんの作品に共通するものは「記憶」。椛田さんの作品が装画に使用された「プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に」を題材にして展開された作品たちと、実在する登山家の山岳小説から受けたインスピーレションと体験をもとに制作された新作たち。

他の人の物語(綴られた記憶)を題材にした作品と、自らの体験(綴られる記憶)をもとにした作品が展示されています。

プリーモ・レーヴィは、アウシュヴィッツ強制収容所の抑留体験を書いた『これが人間か』で世界的に知られる作家です。1943年ドイツ軍のトリーノ占領を機にパルチザンに参加するが捕らえられ、44年アウシュヴィッツ強制収容所に送られました。45年に解放されソ連各地を転々とした後帰国。トリーノの化学工場に化学技師として勤めながら、強制収容所での体験を主題とした小説を発表し、作家としての地位を確立。「アウシュヴィッツの悪」を克服した、明晰で理知的な作家として高く評価されていました。

しかしレーヴィは1987年に自死の道を選びました。

「プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せね時に」は、アウシュヴィッツ強制収容所から生還したのちに書かれた詩集94篇が収録されています。レーヴィは「アウシュヴィッツ以降、アウシュヴィッツ以外の詩は書けない」とインタビューで答えています。

今展示のヴィジュアルイメージになっているこの作品は、「プリーモ・レーヴィ全詩集」に収録された詩『生き残り』からインスピーレションを受け作られました。この詩からは、「生き残ってしまった」というレーヴィの自責の念が読み取れます。6.5メートルある和紙に、細いボールペンでひたすらに画面を埋めたこの作品は、暗くなったり薄くなったりを繰り返し、最後には線で埋め尽くされて真っ暗になったところで、断絶するように終わります。最後の端はまっすぐではなくガタついた状態です。まるでレーヴィの晩年のような、もしくは内面のような作品です。

同書の詩を題材にした作品はほかに5点あります。それぞれ題材になっている詩が異なり、キャプションに詩のタイトルが書いてありますので、ぜひ会場で書籍を片手にご覧いただきたいです。詩を読む前と後では見え方が変わってくるはず。

椛田さんが最近好んで読まれているという山岳小説を題材にした新作は3点、佐瀬稔 著「長谷川恒男 虚空の登攀者」、沢木耕太郎 著「凍」を題材としています。椛田さんは、山に美しい一本のラインを引くことにかける登山家の情熱と、美術家の一本の線にかける思いは、見ている対象は異なるはずなのに、どこか似ていると話します。

先日行われたギャラリートークでも登山と絵を描くことの共通点の話になり、なぜ山を登るのか、なぜ絵を描くのかはどちらも明確には答えられないというのが印象的でした。私も最近山を登る人の本を読んでいるのですが、高い山に登る前には体を慣らすためにその手前の山に何度も登ったり、クライミングの練習を何日も行ったりと、目標となる山に登るための前段階がとても多くて、それは絵を描くことにも通じるのかなと感じました。「完成」という目標に向かっているはずが、どんどんずれていって、どこに向かっているのかわからなくなりそうになりながら、それでもひたすらに完成に向かっていく。

椛田さん自身も登山とボルダリングをされていて、今回その体験をもとにした作品も制作されました。画像右の石は実際に椛田さんが登山をして持ち帰ってきた石です。石からはリキテックスでつくられた透明な影のようなものが伸びています。これはこの石を拾った場所から見た風景。椛田さんは絵を描くとき、対象物の向こう側にあるものを見て描いていると言います。つまりこの作品自体が椛田さんの絵画の捉え方となっているということ。私にとっては何度聞いても不思議な話で、掴めそうで掴めない感覚ですが、とても新鮮でおもしろいと感じました。

そして、画像左の大きな作品『私自身の壁』は、椛田さんが拾ってきた石を山と見立て、ボルダリングで登った軌跡です。

実際に脳内でこの石に登り、手を掛け、足を掛け、何度も落ちては別のルートを探ってまた登りました。何度も落ちた場所はボールペンの線で埋め尽くされていき黒々としています。最後は一番高いところに手を掛けるも、結局登れなかったとのことです。

椛田さんは「絵」を描いているというより、「行為」を描いていると言えます。正方形の絵画作品が多いのも、描いている内に上下左右がなくなっていくからだそうで、はじめにルールだけ決めて、どのような絵にするかは考えず、ボールペンをとめたところで終わりとなります。

今回の展示は、レーヴィや登山家たちの綴られた記憶と、椛田さんによって綴られていく記憶がリンクした内容となっています。作品『私自身の壁』は、ギャラリーの壁めいっぱい掲げられ、椛田さんのボルダリングの軌跡が勢いよく描かれていて、ぜひ実際に見て感じて欲しい迫力です。

展示は11月4日[月]まで。最終日は椛田さんが在廊される予定です。いろんなお話を伺いながら、そして詩を読みながらご覧いただければ、ここに書いてある以上のおもしろい発見があるはずです。ぜひぜひお越しください。

 

椛田ちひろ KABATA chihiro
「綴られた記憶/綴られる記憶」

2019年10月19日[土] – 11月4日[月] / 月曜・火曜定休
◎作家在廊日:10月19日・11月4日
◎11月4日は祝日営業いたします。

 

スタッフ:イイヅカ

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