Column

2023/06/01
清水裕貴
「海は地下室に眠る」レポート

本展は清水さんの長編小説『海は地下室に眠る』の物語に関連する写真作品と日々の記録、資料などで構成されています。清水さんは写真家であり小説家でもあるという希有な方。写真作品を制作し展示するための活動が、小説の物語へも繋がっていく過程を見ることができるのは清水さんの展示ならではです。

私はこの展示をまずは小説を読まずに見てみたかったので会期中頃から読み始めました。その結果、事前に展示で読んだ史実や清水さんの作品制作にまつわる出来事、写真作品の景色などが小説の内容とリンクしていくというおもしろい体験ができました。清水さんの書く文章はとても読みやすく、光景が絵や映像として頭の中に浮かんできます。メインはミステリーという括りとなっていますが、登場人物それぞれが魅力的で、特に過去の戦前戦中を生き抜いた人々の描写は、この人たちは本当に存在していたのではないか、激動の時代を懸命に生きていたのではないかという気持ちになります。

ストーリーの中心は千葉の稲毛海岸近くの古い洋館・伝兵衛邸の地下から発見された、ドレスを翻し踊る女を描いた正体不明の絵画の謎を解き明かすこと。絵について調べる主人公は千葉市美術館の学芸員です。作中では2018年から2020年へと時間が流れ、謎の絵画の調査と並行して、美術館での企画展の準備や参加作家とのやり取り、新型コロナウイルス感染症の爆発的流行による展覧会の延期や、緊急事態宣言下の空気感も描かれていて、現役のアーティストが描く学芸員と作家、美術館の裏側など、美術鑑賞や美術館に行くのが好きな方はきっと興味があるのではと思います。
 
これらは現実の清水さんの作品制作や企画展準備での出来事とリンクしていて、本展にて綴られたテキストを読むとそれぞれの出来事がどのように物語に影響を与えているのかがわかりとてもおもしろいです。

少しだけ小説の内容に触れますが、作中で開催される千葉市美術館での企画展と内容の酷似した企画展が、現実の千葉市美術館でも2022年に開催されました。これはどちらかが合わせたわけではなく、なぜかそれぞれ同時期に同じような企画を考えていたのだそうです。内容は、千葉市美術館の所蔵作品を自由に選んで、新作とコラボレーション展示をするというもの。この企画展には清水さんも参加し、清水さんはジョルジュ・ビゴーが明治36年に描いた作品「稲毛海岸」を選び、千葉市美術館の監視係の人々に取材した写真とテキストを展示しました。

ジョルジュ・ビゴーが明治36年に描いた稲毛海岸は今は存在していません。戦前は遠浅の浜に多くの観光客が訪れ、海岸線沿いには旅館や別荘が立ち並んでいました。しかし戦後の都市開発で海は埋め立てられ、海岸線は二キロ先に遠ざかりました。当時を知る人たちは、ジョルジュ・ビゴーの「稲毛海岸」の前で昔話に花を咲かせる方が多いそうです。同じ絵画を見ていてるようで、きっと全く違う景色を見ているのでしょう。

物語の重要な舞台である神谷伝兵衛稲毛別荘が大正七年に竣工した時、庭のすぐ外に稲毛海岸の砂浜が広がっていたそうです。今ではトラックが行き交う国道になってしまった海岸線ですが、伝兵衛邸はまだ海水浴客の賑わいを覚えているような気がした、と清水さんは語ります。

百年の間同じ場所に在りつづけ、移り変わる景色や入れ替わる人々を見つめた建物。
今はない稲毛海岸の絵画を見て、もういない人や失った景色の記憶を見つめる人々。
 
長く残るものにはそれだけ多くの人の思いや記憶が宿っているのかもしれない、と本展と小説を合わせて鑑賞することで感じました。

小説『海は地下室に眠る』は店頭、ウェブショップにて販売しています。本展を観る前でも後でもいいのでぜひ読んでください。こんな風にいろんな角度から楽しむことのできる展示はなかなかないと思います。
展示作品はウェブショップでの販売がスタートしています。それぞれの作品についての清水さんのテキストと詳細も記載していますのでぜひご覧ください。
 
会期はいよいよ今週末6月4日(日)まで。6月3日(土)は清水さんが在廊を予定していますので、小説について、作品について伺いたいことがあればぜひお声がけください。
 
 
 
清水裕貴
「海は地下室に眠る」

 
百年生きたお屋敷は、どんな記憶を持っているだろうか。
神谷伝兵衛稲毛別荘に初めて足を踏み入れた時、何故だか懐かしいと思った。かつて風光明媚な避暑地だった稲毛の、旧海岸線に建つ和洋折衷の洋館。高度経済成長期に大規模な埋め立て工事が行われて、海岸線はトラックが行き交う国道になってしまったが、伝兵衛邸はまだ海水浴客の賑わいを覚えているような気がした。建物は、人間より遥かに長い時をかけて風景と向かい合う。私は洋館を巡る様々な過去の記憶と出会いながら、写真と言葉によって表現を試みた。
 
2023年2月、神谷伝兵衛邸の地下室で発見された絵画を巡る物語「海は地下室に眠る」(KADOKAWA)が出版された。本展は、この物語に関連する写真作品と絵日記で構成されている。
 
 
期間
2023年5月20日[土]- 6月4日[日]/ 月曜・火曜定休
*在廊日:5/20・5/21・6/3

 

 

 

スタッフ:イイヅカ

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