Column

2018/12/28
父と子の本棚

おとうさんとぼく
よりぬき波平さん
小さなユリと
ふたりっ子バンザイ
宿題の絵日記帳
ぼくは12歳
問い詰められたパパとママの本
ぼくと仕事、ぼくと子ども

先日岩波少年文庫からまさかの復刊となった「おとうさんとぼく」は戦前のドイツの漫画です。かつて「ヒゲ父さん」のタイトルで他の出版社からも出ていました。いたずら好きな息子に寄り添う、父親のとぼけた優しさは理想像と言うよりも希望に近いものかもしれません。同時代を生きたエーリヒ・ケストナー(ドイツの詩人・小説家。児童文学作家として知られるが、大人向けの作品も数多く残した。ユダヤ系ドイツ人として、ナチスを批判し続けるものの、あまりに人気があり過ぎたため政府は取り締まることができなかった。代表作は“点子ちゃんとアントン”、“飛ぶ教室”、“ふたりのロッテ”など)と同様、明るく健やかな作品は世相に対するせめてもの反抗のようにも思えます。

一方時代の鏡として日本の家族の姿をとらえ続けたサザエさんから、波平の姿を集めた「よりぬき波平さん」。「バカモン!」とお決まりのセリフの調子とは裏腹に、カツオと一緒に風呂に入ったり、ワカメと話し合ったり。フネとサザエに「甘い」と言われつつも、非常に良く子どもたちと向きあい暮らす父親であることが分かります。余談ですが遊んでいると父親の方がムキになる、と言うのは「おとうさんとぼく」にも、「サザエさん」にもそれから「コボちゃん」にもよく見られるシーンですね。

伊丹十三もまた、二人の息子の父親として「空ハナゼ青イノ?」「ゴムマリハドウシテハズムノ?」などの疑問に耳を傾けます。著者特有の軽妙洒脱なトーンに、しっかりとした化学的知見と時に哲学的挿話が混ざりあう「問い詰められたパパとママの本」は子供たちと同じ高さから、低さから、様々な出来事を眺め、考えるためのユーモアと知恵を授けてくれるはず。

小さなユリと」は詩人黒田三郎が描く娘ユリとの日々。どこかの窓から漂ってくる魚の焼ける匂い、夕方の少し冷たくなった風が頬に当たる様子、父親の手を握り返す子どもの手の感触と暖かさ。印象的なシーンの中心にはいつもユリの姿。日常と詩情の間を行き来する、とても平凡な風景がそこにはあります。

ふたりっ子バンザイ」もまた、被写体として、愛情という特別な光に照らされ撮影された、写真家のふたりの息子の姿です。父親の守護の元で子ども達が感じているであろう、安心と気易さが伝わる写真集。

宿題の絵日記帳」は画家と高度な難聴と診断された娘との日々を絵日記として綴ったもの。娘の一挙手一投足を最大限の注意を持って見守っていたことがよくわかります。でもそれは難聴であるという理由にだけよるものではなく、ごく一般的でありふれた愛情によるもの。

僕は12歳」は12歳で自死を遂げた少年の詩と、その両親による回想。この本を繊細な感受性を持った早熟な少年が残した詩集、と捉えるか、ごく一般的でありふれた子供への愛情さえも行使できなかった両親の悔恨の書と捉えるか、読む人によって大きく違う一冊です。

ぼくと仕事、ぼくと子ども」は子どもと大人が一緒に生きてゆくための10人の父親による10の方法。親が子供の視線を通して、その視線の先にある未来を考えるための本。

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